神社の願い事が叶わない4つの理由【神頼みは意味ない】
数年前から神社にお参りへ行くことがなくなりました、カスカスです。
さて、受験や正月は神社にお参りに行くって人も多いと思います。
そこで大半の人が願い事を言うわけですが、実際に叶った人っています?
私自身なんども神頼みしてきましたが、今まで一度も願い事が叶ったことがありません。
毎年初詣とかも行ってましたが、ここ数年は「行っても意味ない」と行ってません。
そんな神社の願い事が叶わない理由を私なりに考えてみました。
神社の願い事が叶わない4つの理由
長年神頼みしてきて全く叶わない私カスカス。
ネットでは、
・あの時お参りしたからかな?神様ありがとう!!
と願い事が叶った事例もあるみたいですが、本当かよ?と疑問に思うレベル。
そんな願い事が全く叶わない私が考える『神社の願い事が叶わない理由』を4つ挙げてみたいと思います。
願って終わり
『願って終わり』って人は、願い事が叶わないと思います。
例えば、
といった願い事。
神に頼んで合格したら誰も苦労しませんよね?
やはり難関大に合格できるような努力が必要なわけで。
あと私もよく神頼みしていた、
って願い事。
神頼みしたからって空から女の子が降ってくるわけでもないし、すれ違った女性が運命の人だったっていうそんなこともありません。
つまり、「願い事したからOK」ではないんです。
それを叶えるほどの努力が必要なわけで。
無理な願い事しかしない
・世界トップクラスの金持ちになりたい
といった『無理な願い事』も絶対叶いません。
必ずしも無理ではないですが、あまり現実的ではないですね。
私自身もなんども神頼みした後に宝くじを買いましたが、全て外れています。
神としても強欲な人間には手を差し伸べたくないのでしょう。
願うべき神社が違う
『願うべき神社が違う』ってこともありそうです。
私が今まで神頼みしていたのは、“五穀豊穣”を願った神社。
つまり穀物・・・農業にご利益がある神社。
そんな神社に「金持ちになりたい」とか「彼女が欲しい」といっても、神様側からすれば専門外なので「知らんがな」と相手にしてくれません。
そもそも神など存在しない
こんな事言ったらあれですが・・・そもそも『神は存在しない』ってことも。
神は“人間の作り出した創造物”というのをネットで見かけました。
神はいないとまでは言いませんが、存在しないからこそ色んなところに神社があるのだと思います。
何もない土地に人が住み、そして神社を建て信仰する。
だからこそ各地に神社があるわけだし、色んな宗教があるわけで。
人間の作った創造物にお願い事をしても、叶うわけありませんよね。
つまり『お守り』も意味ない
となると、お守りも意味ないってことになりますね。
昔はよく訪れた先々で【縁結びのお守り】だとか【金運のお守り】とか買いましたが、なんの効力もありませんでした。
むしろお守り1個500~1000円するので、お金だけがなくなっていく。
結局お守りは記念硬貨・記念スタンプみたいなもので、その神社を訪れた証でしかないのかもしれません。
神頼みは意味ない
“信じる者のみ報われる”って言葉がありますが、信じても何も起きません。
だから『神頼みは意味ない』と思うようになり、神社にも行かなくなりました。
本当は信じたいんですよ?
でもね、信じることに疲れてしまった。
どんなに神頼みしても、恋愛はダメ、仕事もダメ、私生活はもっとダメ・・・。
そこで私は悟りました。
『信じるのは神ではなく、己自身』だと。
願い事って“叶うか叶わないかのギリギリのライン”にいるからこそ、願う意味があると思います。
って時の、不安な気持ちを紛らわせる手段の一つ。
願い事をして叶ったという人たちは、事前の努力をしっかりやっていた人なのです。
何も努力しない神頼みは無意味ですが、努力した後の“神頼み”は意味があるのかもしれません。
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コメント一覧
このブログは神社否定しているからたぶん行くことはないと思いますが、本当に神社にはなんのご利益もありません。返って祈れば祈るほど徐々に不幸になります。この徐々にというのが癖モノです。大抵の神社の神と呼ばれているのはキツネです。キツネが人々を幸福にできるわけありません。返ってキツネと同じ生命状態になってしまいます。いわゆるキツネ憑きというやつですね。あとその土地の神が宿ってるというのも眉唾ものです。
幸福になる為に必要なのは誰もが既に自分の中に持っています。
生命の十回論というもので、①地獄界 ②餓鬼界
③畜生界 ④修羅界 ⑤人界 ⑥天界 ⑦声聞界
⑧縁覚界 ⑨菩薩界 ⑩仏界です。
この十回は全ての人が持ってます。縁によってその生命状態が表に現れます。
記事にある通り、神頼みは意味ありません。
故にこの記事は実に正しい事を書いてますね。
コメントありがとうございます。
私も昔は信じている側でした。
しかし一度も叶ったことはありません。
恥ずかしながら、京都と大宰府で縁結びのおまもりを各5個ずつ買ったことがあります。
結局その人次第ってことですね。